2000/04/05
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表紙

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2.用語集
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5.カメラ雑文
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カメラ雑文

[157] 2000年10月10日(火)
「35mmカメラのニッチ」

「ニッチ」と言う言葉は、生物学などによく登場する。 元々、「niche=ふさわしい場所」と訳されるが、要するに「自分の居場所」ということである。

生物は自然界でシステムを構成し、そのシステムが動くことによって自然が不自然にならずにいられる(我々は、自然とは形のあるものではなく仕組みそのものであることを忘れがちである)。

生物界では、多様な生物が環境に存在し、それぞれの存在がバランスをとっている。もしそこに別の種が入り込もうとするならば、システムの環に入る必要がある。システムに入れない種はいずれ消えてゆく。
もしシステムの中に入ることが出来たとすれば、それは独自の役割を担い、システムにとって無くてはならない存在となったということに他ならない。これこそが自分の居場所、「ニッチ」である。


さて、カメラの話に入るが、我輩は元々、カメラ機材についてはあまりこだわらないほうだ。写真が撮れれば何でもいい。
そのため、最初はキヤノンFD系、次にニコン、そしてミノルタα系、さらにキヤノンEOS系へと、その都度その都度、自分の要求スペックに合致したカメラをメーカーにとらわれることなく選択してきた。

カメラの使い方も荒く、更には、隠しスイッチをカバーした邪魔なフタもペンチで引きちぎったり、カスタムファンクションの覚えにくい番号をボディに刻みつけたり、縦位置シャッターボタンを新設すべくハンダコテで溶接したり(月刊CAPAの読スペで掲載された)、水が浸入しないよう継ぎ目をボンドで目張りしたりと、ムチャな改造をやったものだった。
そこにはカメラへの愛情など微塵もなく、ただ「中古として売る際の修復が面倒だな」という程度の認識しか無かった。
あの頃は、カメラはリースで使っているという感覚だったかも知れない。新製品が次々に出ている時期だったから、それも仕方ないのだが。


35mmカメラから6×6判カメラ(中判)へ移行する際も、単なる画質アップを狙ったもので、特に35mmに対する未練も無かった。それ故、一時期は35mmカメラシステムは完璧にゼロの状態になったものだった。あたかも、ミノルタαからキヤノンEOSへ鞍替えした時のように、要求性能を満たさない旧いシステムはガラクタという認識でしかない。フィルムフォーマットの違いは、単なる機種の違いとしか感じなかったわけである。

世間的には、35mmカメラと中判カメラではその役割も違い、棲み分けが出来ている。それは承知しているが、我輩の撮影範囲に限って言えば、35mmカメラで撮れた写真は6×6判でも十分に撮れるものであり、中判によるデメリットはMFだということだけ。

ちなみに、使用した中判の機種も様々だった。
最初はブローニーフィルムの運用に問題が無いかどうか、つまり、「(1)フィルムの入手」、「(2)現像の日数・料金」、「(3)鑑賞方法」などの一連の流れを知るために購入した「LOMO・ルビテル二眼レフ」から始まった。
次に「ビューティーフレックス」というかなり旧い二眼レフ。
そして安価な一眼レフとして「ゼンザブロニカSQ」、さらにメインとして「ゼンザブロニカSQ−Ai」
更に、距離系連動式で沈胴レンズの「ニュー・マミヤ6」。
また、機械制御の「コーワ6」。

写真が撮れれば、機種など関係ない。
そんな、写真結果主義だった我輩だったが、たった1つ引っかかっていたものがあった。それは、保存版「ニコンF3HP」の存在だった。

前にも書いたが、製品としての素晴らしさに感動し、もうすぐ生産中止となるであろうそのカメラを今後に残すべく購入したもの、それが存版F3だった(実際の生産中止はそれから7年後)。

保存版F3は、他の35mmカメラを全て売り払っても手元に残してあった。ローンで買ったということも、手放さなかった理由の一つだが、やはりこのカメラの新品は手放すには惜しい。ここで手放せば、もう二度と手に入れるチャンスは無いと思っていた(こんな旧式カメラなど明日にでも生産中止になると思っていたからな)。

そして、そこから徐々に35mmカメラに対する愛が育まれていった。 しかしどうしても、使わないカメラというのは気になる。将来使うというのが分かっていればいいが、金輪際使わないというのであれば、いくら貴重なカメラであっても、残しておく意味など無い。少なくとも我輩がやることではない。

そこで、35mmカメラを我輩の第一線に戻す必要が生じてきた。そういうわけで、とりあえず中古で35mmカメラを購入した。 中古で購入したF3やペンタックスKXなどはこの頃導入した戦力である。
最初はかなり戸惑った。35mmカメラと中判カメラとの棲み分けがなかなかうまく行かず、再び35mmを処分しようかと思ったことさえあった。

しかし、パソコンの導入がその状況を変えた。 パソコンに取り込む写真というのは、35mmサイズが理想的である。逆に言えば、最初からパソコンで取り込むというのが分かっていれば、35mmで撮る以外に無い。

もちろんブローニーフィルムでもスキャン出来ないことはない。しかし、我輩所有のフィルムスキャナは35mmフィルム専用だった。フラットベッドスキャナに透過原稿用ユニットを付けてみたが、反射原稿を前提とした家庭用スキャナ(EPSON GT-9600)ごときでは、フィルム専用のスキャナの画質には足下にも及ばない。そもそも、フィルムスキャナとフラットベッドスキャナではCCDの読取り密度が違う。

フォトCDにするにしても、ブローニーサイズは何かと不都合である。35mmならば多数派のメリットが享受できる。
またデジタルカメラにしても、「レンズ交換できない」、「撮影をバックアップするアクセサリが無い」、「トータルコストが掛かりすぎる」、「バッテリーに問題がある」、「一眼レフタイプが少ない、または一眼レフであっても透過ファインダーでピントの確認が出来ない」などという致命的問題点がかなり多い。

現在、我輩の中では、35mmカメラは特別なニッチを獲得している。
デジタルカメラが貧弱な現在、その地位は当分は揺らぎそうには無い。