2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[225] 2001年02月08日(木)
「趣味のスタイル」

我輩が小学生の頃。
漢字書き取りの宿題が出た時には、我輩は右手に鉛筆を2本持ち、一度に2列の漢字を書いていった。これはなかなか効率が良く、10ページの宿題ならば5ページ分の労力で同じ効果が得られた。
我輩は、努力はあまり得意ではなかったが、そういうことについては器用だったのだ。

誰に手伝ってもらったのでもなく、その漢字はすべて我輩の筆跡である。書き終わったものを見て、それが10ページ分の努力なのか、5ページ分の努力なのかの判断はまず不可能。当時は、そのテクニックが先生に発覚したことは一度も無かった。

社会人である今の自分の立場から言えば、それは「費用対効果が高い」と言える。投入コスト(労力)に対して、得られる成果が大きい。50パーセント節約であるから、改善案としてはかなりのものと評価されよう。

ただし、成果とは何かということを深く突っ込んで考えるならば、その評価はひっくり返ることとなる。
もし「書き込まれた漢字帳」という物だけに成果を見るならば、その漢字帳の書かれた経過などどうでも良いことである。しかし、漢字書き取りの労力を惜しんだ我輩は、手書きで漢字がなかなか書けなくなってしまった・・・。


我輩は以前、「キヤノンEOS630」2台をメインに据えていた。最新最速AF、定評のある評価測光、自動段階露出機能(AEB)、秒間5コマの高速モータードライブ内蔵。
同じクラスのカメラでは、当時、これ以上のものは望めなかった。
交換レンズも、50mmF1.8(当時50mmF1.4USMは未発売)以外は全て超音波モーター(USM)内蔵タイプ。撮ろうと思った瞬間に、音も立てずにククッと焦点が合う。

露出決定のシビアなリバーサルフィルムを使おうとも、評価測光に自動段階露出を組み合わせれば、まず露出を外すことはない。しかも、秒間5コマのハイスピードが3コマの段階露出など意識させることはなかった。 もちろん、フィルム・現像のコストが3倍となるが、失敗を考えれば安いもの。
このようにして得られた写真は、成果物としては上々であった。

・・・しかし、何かが違う。我輩の中で、何かが反発していた。
それは最初、無意識の中に聞こえる声であったが、時間が経つにつれ、だんだんと意識のレベルに上がってきた。
「このように効率的に写真を撮ったとしても、それで我輩が何を得られたというんだ?」
我輩は、自らの問いに答えられなかった。


もし、写真という成果物そのものが最終目的ならば、それは別に自分が撮る必要もない。
仕事上のことならば、プロを雇って撮らせれば良い。自分のイメージを的確に伝えれば、プロはイメージに近い写真を撮ってくれるだろう。
契約や報酬をきちんとすれば、その写真の所有権・著作権すら自分のものになる。それは法律上からも「自分の写真」と言えよう。

当時の我輩が「キヤノンEOS630」に期待したものは、ロボットカメラマンだったと言える。ただ単に写真の所有者となるために、このロボットカメラマンに依頼して写真を撮ってもらった。構図とシャッターチャンスさえ伝えれば、あとはこのロボットカメラマンが全てをやってくれた。
そして、結果的に我輩は多くの写真を所有するに至ったのである。
これは、効率的な仕事とは言えるが・・・、果たして趣味と言えるのか?

「趣味」とは、自らを磨くことこそ真髄なり。

自らの向上に手応えを感じ、そこに喜びとやりがいを見る。
向上を期待しないものならば、それはもはや趣味ではなく、単なるヒマ潰しでしかない。

もし、物理的な成果物のみに意義を求めるならば、趣味の喜びとは、限られた一部の者にしか味わえないものとなろう。
だが趣味というものは、それぞれの個人によって求める到達点が違う。
確かに、上級者を目標にしたり、ライバルに競争心を燃やすというのは、向上するための強い原動力となるだろう。しかし、自分よりもテクニックに劣る者を見て優越感にひたるだけならば、それは傲(おご)り以外の何ものでもない。

初心者は、自分の未熟さを恥じる必要は一切無い。むしろ、向上する喜びを素直に感じることが出来るという意味では、うらやましい立場と言えるかも知れない。
上級者になればなるほど、行き詰まりに悩む経験をするものだ。そこで苦しみ抜いて初めて得られた達成感は、また別の喜びであろう。

当時の我輩は、ある程度の到達点に達し、他の者の未熟さを探して悦に入るような卑しい存在だった。
自分の喜びとは違うという理由だけで、人の写真を否定したり見下したりしてはならぬ。

もちろん、初心者は低い目標で満足してしまう場合もあるだろう。だが、もっと上の喜びがあるということを示せば、さらに目標を高く持ち、自分を向上させようとする者も出てくるに違いない。
上級者は、自分の写真を自慢するためだけに公開するのではなく、初心者に目標を与えるために、大きな世界を見せてやるべきなのだ。

自慢とは、自分1人しか味わえぬ満足。だが、皆で向上していくことは、多くの者に満足を提供することに通ずる。それこそ、さらに大きな喜びややりがいに繋がり、他人を高めることが気付かぬうちに自分も高めることとなるだろう。

我輩は、自分の趣味のスタイルとして、ダイヤル式カメラを使う。
成果物としては同じものであっても、漢字を1文字1文字噛みしめて書くかのごとく、自分でダイヤルを動かす。この作業によって、自分の意志を確認し、それが自分の内に何かが残るのを強く感じるのだ。

我輩のスタイル、それは、ダイヤルを通して自身の内に成果物を残すことを目指す。

それは、他の者が追求する喜びとは種類が違うかも知れない。ダイヤル式でなくとも自分を磨くことが出来るかも知れない。だが、こういう喜びがあるということを広く知らしめることは、我輩の立場として当然の行為であり、その行為自体が、また新たなやりがいとなるのだ。それが、このサイトを運営する唯一のエネルギー源である。


我輩は、自分の趣味のスタイルを強要せぬ。他人の趣味のスタイルを否定せぬ。
共感した者だけが耳を傾けてくれさえすればいい。我輩のスタイルに異論ある者は、それはすなわち独自のスタイルを持っているということに他ならない。その時は、ブラウザを閉じてくれればいい。我輩はそれに敬意を払おう。