2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[239] 2001年03月07日(水)
「町工場(まちこうば)」

荒川区や大田区には、小さな町工場(まちこうば)が多い。
化学樹脂をローラーで練っているところもあり、風向きによってはかなり激烈な匂いが鼻につく。そういった意味で最初はあまり良い印象を受けなかった。
しかし、そこで働く者の姿を何度も見ていると、「物を作っているのは確かに人間なんだ」と、あらためて実感するのだ。

ガード下などには金属加工業者や、メッキ業者など、関連した業種が線状に集まり、全体として流れ作業のようになっている場所もある。
何に使うのか全く見当もつかない部品が、通函に入れられ重ねられている。その部品は、差し込む陽に照らされ眩しく光っていた。

3〜4年くらい前、NHKで町工場のドキュメンタリーを見た。そこでは、数少なくなった職人たちが活躍していた。
他では真似できないような深い金属絞り加工をする職人、不完全な設計図だけで完璧な試作品を作り上げる職人、注文通りに寸分の狂いもなく金属パイプを曲げ加工する職人・・・。
中でも、指の感触だけで数ミクロンの誤差を読むという者には驚かされた。

外国の場合、「工作機械の精度の限界により、加工精度はここまで」と割り切るという。しかし、町工場の職人たちは、工作機械の精度を上回る加工をやってのける。最小目盛りの百分の一までは確実に読めるというのだ。見えない目盛りが見えるようになるには、どれほどの鍛錬を積んだのだろう。

機械的誤差も飲み込んだ精度出しのためには、単純に細かく目盛りを読むだけでは通用しない。切削音や振動、感触、そういった「雰囲気」とも言えるような微妙な情報が、目に見えない細かい目盛りを浮かび上がらせているのである。
恐らく本人たちは、ただ良い物を作るということだけを考えて努力していたに違いない。それがいつの間にか鍛錬となったのだろう。


前回は「OLYMPUS OM-3/OM-4」の理想的な露出計について書いた。それに対し、我輩の主力機である「Nikon FA/F3」の露出計は、対称的とも言えるほど使いにくい。
元々、視野の上方にあるものは目に入りにくい。「Nikon FA/F3」の露出表示は見事に上方にある。しかも表示はデジタル数字とプラスマイナスの表示だけで、どれだけ露出がズレているのかという感覚的なスケールが読めないのだ。
だが、そのおかげで単体露出計を使う頻度も高くなるのも事実である。

単体露出計は、露出計を搭載していない中判カメラでは必須であり(もちろん、露出計を持つ中判カメラも世の中にはあるが)、何よりも、我輩のイラク空軍的装備を生かすには同じ露出計を使う必要がある。そういう意味で、我輩にとって単体露出計は必然なのだ。

しかしそうは言っても、いつも単体露出計を使えるとは限らない。だから、主力機の「Nikon FA/F3」の露出計を、あるていど使いこなす必要がある。
我輩は、絞り優先オートで示されるシャッタースピード表示を見る。絞りは固定してあるので、これで露出量が判る。しかもそのままフレームを移動させると、それに応じてリアルタイムにシャッタースピードが変化していく。
我輩は、その変化の具合で、不連続な数字による露出表示にアナログメーターをそこに見る。

このように書くと大げさに思えるが、この感覚はなかなか人に説明出来ないから仕方がない。全ては無意識であるから、言葉で説明すると冗長にならざるを得ない。

こんな話を聞いたことはないか。
迷子の老人を保護した警官が、家族に迎えに来てもらおうと自宅の電話番号を訊いた。しかしその老人はどうしても電話番号を思い出せなかった。そこで、試しに電話を前に置いたら、指が自然に自宅の電話番号を押したという。

人間の動作は、頭で考えて行動するのと、無意識に行動するのとでは、少し様子が違う。頭で考えて行動する場合には言葉で説明が出来るのだが、無意識に行動するのは説明が難しい。
我輩の、デジタル数字をアナログメーターに変換する仕組みは、それを同じく会得した者にしか理解してもらえないだろう。


ここまで書くと、恐らく「そんな苦労が何の役に立つんだ?」と思われるかも知れない。確かにそうだ。もっと便利なものに乗り換えるのは進歩の一要件であろうかと思う。

だが、機械を使うというのは、自分の手足の延長とすることではないのか。新製品が出る度に乗り換えては、それを使いこなすヒマなど無いのも事実だ。最初から完璧なる機械が存在すればいいのだが、当分それは望めまい。
結果、そのカメラの「良さ」にも気付くことなく、新製品を迎え入れ、それを永久に続けるしか道は無い・・・。

人間がほんの少し練習すればいいことであるのに、究極のカメラを求めて乗り換えを繰り返す。昔の我輩がまさにそうだった。そしてある日、そのムダに気付き、空しさを感じた。

究極のカメラなど存在しない。たとえ存在するとしても、それは我輩の時代では届かないだろう。だから、今手に持っているカメラとの巡り合わせを大切にし、1つのカメラを使うことを大事にしたい。要するに、使い方が分かっていれば、現状で十分に事足りるのだ。


町工場の職人たちは、人間の更なる可能性を垣間見せてくれた。
「これが限界だ」と自分が認めた時、それが自分の限界となる。我輩の限界は、町工場の職人を見て少し広がったように思えた。