2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[340] 2002年03月08日(金)
「手段と目的(2)」

我輩はボンクラサラリーマンである。サラリー(月給)を得るために仕事をしている営業マンである。
営業業務は何かと大変で、「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」の精神が無くてはならぬ。風邪を引くにも予定を立てねば務まらない。時に、納品物を運ぶ腕が筋肉痛になることもある。
(我輩のような親会社向け営業業務はまだ楽なほうで、外販営業(新規開拓)はもっとツラいだろう。あまり「自分の仕事は大変だ」などとこぼしていると、外販営業の猛者(もさ)に「それくらいで何をぬかすか」と怒鳴られるに違いない。)

サラリーを得るための仕事であるから、ツラくても何とかやらねばならぬ。金という目的のための手段だから仕方無い。
・・・とは言うものの、これではあまりに救いが無い。100のツラい作業のうち、1つでも楽しみに変えたい。

そこで、客先に出向く時はわざと古本屋に寄れる道を通り、電車に乗ると読書をするようにした。客先に行くことが読書に繋がる。
このようにすると、客先に行くのが待ち遠しくなる。事務所からの往復は2時間半くらいあるので(昼間は乗換えの接続が悪い)、十分に読書が楽しめる。
サラリーを得るためのツラい作業のうち、たった1つではあるが、苦難が楽しみに変わった・・・。


我輩が最初に写真撮影に使ったカメラは祖父のキヤノネットであるが、最初の頃は失敗写真ばかりだった。
そもそもフィルムを入れることが出来ず、フィルムを買ったカメラ店で装填してもらっていた。それでも、ネガでも救えぬほどの露出過不足があったり、巻上げ過ぎてフィルムが切れたりした(子供であるから力加減が分からず、とにかく巻上がれば写真が撮れるという意識しか無かったように思う)。

我輩は、「こんなに失敗が多く面倒であるならば、写真を撮るのはもうやめようか。」と思った。
露出や構図などの知識は皆無で、更にカメラの知識さえ無い。 しかし「写真を眺める」というのが我輩の目的であり、そこに至るまでには当然ながら「カメラ」という道具が必要であるし、「撮影」という行動も必要となる。これは避けて通れない。当時の我輩にとって、それはまさしく苦難であった。

しかし、たまに母親と長崎や別府に旅行に行ったりすると、やはりその景色を持ち帰ってゆっくりと眺めたいという気持ちが強まる。
その結果、我輩はついに壁を越えた。
次第に「撮影」という行為に興味が広がり、そして「カメラ」についても興味が及んだ。
どういう過程を辿ってそのようになったのかは覚えてはいないが、とにかく壁を越え、「写真を眺める」という目的のために、今までは苦難でしかなかった手段そのものを楽しみへと昇華させたのである。

今では当たり前のように写真撮影を楽しみ、当たり前のようにカメラを楽しんでいる。時には、写真を眺めることよりも楽しむ場合もある。しかし、それが結果的に目的を達成させることに繋がっていることを考えれば、本末転倒ということでもあるまい。


先日の雑文では、「常に次の目的を求むる心こそ、手段を目的に変える」と書いた。その言葉に込めたる意味、今日の雑文で上手く表現出来たならば良いが・・・。