2000/04/05
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表紙

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カメラ雑文

[354] 2002年05月17日(金)
「気概ある者、闘いに備えよ」

先日の秩父線の撮影で意外と苦労を強いられているのは、撮影そのものではなく撮影後の写真整理であった。
中判で撮影すれば、当然のことながら35mmサイズとは違った用品が必要となり、いちいち金が掛かるうえに在庫自体少ない。hama製6x6サイズのプラスチックマウントなどは、ヨドバシカメラの店頭在庫を我輩が全て買い占める結果となった。補充されるまでしばらく待たねばならぬ。
また、35mmサイズであれば安価なフィルムスキャナーでパソコンに取り込むことが出来るのだが、中判であれば高価なフィルムスキャナーでしか取り込めず、製品も選択肢がかなり限られている。
もしも中判カメラがカメラ界の主流であったならば、そのスケールメリットにより、もっと安価に多くの選択肢の中から選ぶことが出来たはずである。
なぜ、便利で経済的な35mmサイズにしなかったのか。疲れた頭の中でふと過ぎる疑問。
しかし十分な情報量を確保するために選択した中判サイズであるならば、我輩はその苦労に正面から立ち向かい安易な妥協を振り払う。
これは自分との闘いでもある・・・。


最近、コンビニや小さなカメラ店でも、デジタルカメラの画像をその場でプリントする機械が導入されているのを見る。面倒な操作も要らず、デジタルカメラのメモリーを挿入して画面の質問に答えるだけで良い。
この先このような光景が当たり前となるなら、パソコンを持たぬ者やパソコンの知識の無い者にさえデジタルカメラが普及し始めることになる。

恐らく近い将来、35mmカメラの市場はデジタルカメラに置き換わり、35mmカメラは白色矮星の如く小さくしぼんでしまうだろう。これは、デジタルカメラの利点が35mmカメラの利点と重なるからである。
(白色矮星=「完全に消えはしないが小さくしぼんでしまう」という意味での比喩)

現時点に於けるカメラの主流は35mmカメラである。
元々35mmカメラというのは、小型で機動性があり、そのフィルムの入手や現像ルートも不自由無い。そのユーザー数はカメラ人口の中で圧倒的に多く、カメラも量産効果により比較的安価に提供されており、その選択肢もまた多い(似たようなカメラが多いが)。最先端技術の導入も、常に35mmカメラが中心であった。
裏を返せば、35mmカメラを使う者は多かれ少なかれこのような主流に乗ることにより、いわゆるスケールメリットを享受してきたことになる。

そもそも多くの者は、カメラを始める時点では35mmカメラ以外のフォーマットのことは知らなかっただろう。それは、35mmカメラの市場が他と比べて比較にならぬほど大きく、他のフォーマットが隠されて目に入らなかったことによる。
身近に中・大判カメラを使っている者がいればまた違うだろうが、そんな状況は極めて稀。大抵の場合、最初は使い捨てカメラやコンパクトカメラを何となく使い始め、そこからそれぞれの目的に応じたステップアップをする。最初が35mmカメラならば、特別な理由が無い限り次のカメラも自ずと35mmカメラとなる。

ところが、この先デジタルカメラが普及してくるならば、スケールメリットはデジタルカメラ側に移ることになる。それは、ビギナークラスのカメラから始まる。最も数の多い裾野のビギナークラスがデジタル色に染まれば、全体が染まるのはまさに時間の問題。
そうなれば、35mmカメラという選択肢は陰に隠れて見えなくなり、もはや意志ある者しか使わぬマイナーな存在となろう。

現段階ではまだ力不足の感のあるデジタルカメラではあるが、近い将来、デジタルカメラが35mmカメラの性能を全てに渡って凌駕するのは疑いようが無い。
もちろん、どれほどデジタルカメラが進歩しようとも、35mmカメラはデジタルカメラが到達し得ない画質を持っているのも事実。だが35mmカメラを選んだ者は、実はデジタルカメラの画質で十分なのだ。もし画質を重視するのであれば、そもそも35mmカメラを使っているはずが無い。わざわざ35mmカメラに留まっているというのは、35mmカメラの持つ機動性や経済性、汎用性などに価値を見出しているからであり、あくまでその範囲内での高画質に割り切っているのである。画質に対する要求がその程度であるならば、デジタルカメラの画質は画素数を稼ぐことで十分カバー出来る。

35mmカメラの利点であった機動性(コンパクトで小回りが利く機材)、汎用性(どこでもフィルムが手に入りどこでも現像出来る環境)、経済性(スケールメリットによるランニングコストの低さ)、先進性(ふんだんに使われる最新技術)を追っていた者ならば、デジタルカメラがそれらをさらに上回る、あるいは将来的に上回る可能性があるとするならば、35mmカメラに固執する意味を失うことになる。
皮肉なことに、35mmカメラを選択した理由が、即ちデジタルカメラを選択する理由となってしまう。

その点、中・大判カメラを使う者は、「画素数さえあれば高画質である」とするような価値観は無く、デジタルカメラの利便性など何の誘惑にもならぬ(業務用としての割り切り用途は除く)。もしデジタルカメラの持つメリットが必要であったならば、そもそも中・大判カメラなど選ばず、便利な35mmカメラを使っていたことだろう。
特に大判カメラでは、「フィルムがどこでも気軽に手に入らない」、「カメラの携行に体力が要る」、「ピントを合わせるのに神経を使う」、「1枚1枚の撮影に手間が掛かる」・・・などとほとんどメリットが無い。ただ求むるは画質(フィルムサイズとアオリ撮影)のみである。しかしそれは、他に代え難い高画質なのだ。多少の手間と苦労は承知の上。
手間を惜しんでデジタル画像に下るならば、もはや本末転倒と言わざるを得まい。

それに対し、35mmカメラを使う者にとって、デジタルカメラの利便性は誘惑そのもの。
引いてゆく波のように大多数がデジタルカメラに流れて行くならば、そのスケールメリットはどんどん失われ、35mmカメラにしがみついている理由が今以上に問われることとなる。
果たして、意志を持って35mmカメラを使い続けることが出来るか。
来るべき厳しい時代を前にして、35mmカメラを使い続けようとする者は自らの意志を再確認する必要があろう。

「35mmカメラよりもコンパクトなデジタルカメラをなぜ使わないのか?」
「35mmカメラよりもどこでもすぐに見られるデジタルカメラをなぜ使わないのか?」
「35mmカメラよりも安く撮れるデジタルカメラをなぜ使わないのか?」
「35mmカメラよりも進んだ技術のデジタルカメラをなぜ使わないのか?」
(※上記は将来的な性能を含む)

その疑問に対する答を用意出来ぬとあらば、もしデジタルカメラが多数派となった時、無駄な抵抗をせず素直にデジタルカメラの軍門に下れ。下手に食い下がれば、無益な血(出費)を流すこととなろう。

好むと好まざるとに関わらず、いずれ35mmカメラの牙城は崩されよう。残念だがそれが現実だ。それでも闘う者あらば闘え。
独りになっても闘い続ける気概が無くば、闘いには決して勝てぬ。今のうちに自らの意志を確認し、来るべき闘いに備えよ。